結局私の被害妄想だよね
久々に来たのに、人の文句しか言えません。
自分のことは一旦棚に置いておきます。
まず。
車椅子を取得しようと最近動いています。
その件で、申請用の書類を医師に書いてもらうために市内の病院に行きました。
初めましての医師なので、まぁ色々伝えたりして…。
そして母が「車椅子があったらこの子の精神的な面でいいと思って」なんて、医師に言うわけですよ。
言いたいことは何となく分かるけど、車椅子必要無い人にとっては「車椅子は精神を安定させるための品」みたいなイメージなのかなと思った。
私の考え過ぎかもしれない、被害妄想も甚だしいなと今書いていて思ったりした…。
はあーーー
でも。「家の中以外では歩けないので車椅子必要です」でいいじゃん。
身体障害者手帳も持ってるんだし。
母は、私から離れるつもりはやはり無いみたいだ。
車椅子に対して母がそんな認識なら、例えば災害時は車で私を移動させ、車が無理ならおんぶして避難所に連れて行くつもりなのだろう。
ちょっとした私の用事も総て、親が変わりに出向けばいいと思っていそう。
「親がずっと側にいるから、車椅子がなくても困らないじゃん?でも子供が欲しがってて…」という思想を病院での会話で感じた。
「買い物は親が行くし、散歩は我慢すればいい。
それでも外出したいってことはつまり散歩とかしたいってことか。じゃあ、精神な面を充実させたいからだよね?だって今は不自由なことないじゃん。」
なんて思っていたら最悪だ。
自宅内では車椅子使わないけど、一歩外に出たら車椅子が無いと私の脚が無いこととイコールな訳で。その車椅子を私が必要とする理由の認識が全然違うなと思った。
私には自由がない状態なので、エレン・イェーガーだったらめちゃくちゃ嫌がりそう。(進撃の巨人を見ている)
車椅子が支給されたら、自由に近づける。
加えて、母はテレビを見てPMSや精神疾患の話題になると「誰でもそう。心の持ちよう。」と度々言う。
だからこそ母が「精神的」なんて言葉を使う場面は、私にとってはその場面に遭遇したくないのだ。
スカイロードさんがyoutubeで
障害者の家族は、障害者の子供を家に縛りがち。
みたいな内容を発信していたが、うちじゃん、、、と思う。
私は30歳近く、発症して7年近く。
このままの環境は嫌だけど自分ではどうすることも出来ない。
とりあえず車椅子の申請は親も了承したし、親のペースに合わせて、誰かの人生を演じながら生きていきます。
親が無理
親が無理、もう無理、っておもう
書いたら負けだと思って、書けなかったし
そう言い聞かせて言わないように我慢してきた
でももう無理
私の忍耐もあと少しだし、八つ当たりになっているのかも
自分の健康の問題からくるストレスに耐えられなくなって
今まで我慢できていたものが、我慢できなくなった
そんな気もする
なぜ無理なのかは、頭を整理して文書にする
余裕がない。
つらい。誰か助けてほしい。この世界に居たくない
あはーー!
⊿
両親が他界したりしなかったりしながら、2年に1度くらい会える友人にも段々会えなくなり、
交友関係も恋人も今後現れることなく、
ヘルパーさんに介助をお願いするだけの日々が続いたある日、死ぬんだろうな。
友達は2年に一度くらい会ってるけど、なんだかもうよくわかりません
何年も会ってない友達は、これから先会うことがないかもしれません
連絡とって会話しても続きません
恋人いません
裁判はしないことにしました
親も身体が悪くなってきました
祖母に今のうちに会いに行きたいです
すみませんね。
最低でも月一でブログを書くことにしている。
月一、となると、どうしても月末に今月を振り返って書いてしまいがちである。
当ブログは、リンクを誰にも知らせてない。ツイッターでURLを呟いたりも、勿論していない。
なので、たまたま当ブログに出会って、記事を読んでしまった方には申し訳ないな、と思う。
そんな貴方は、生涯転んで怪我する回数は一回減ることになります。そうなるよう、私が神さまに頼みましたので。やったね。
もう、私は、何がしたいのかがわからない。
病気が私の中心に居座っていて、もう病気なんて気にせず、どんな症状を訴えてきても、もう無視してやろう、
なんて思ってしまう程、少し追い詰められている。
したいこともしたくないことも出来ないのもシンドイし、
このシンドさを無くすためにある程度病気を治そうと
色々がんばってきたが、こうがんばることが病気の治療に繋がる気がしなくなってきた。
日々の積み重ねは残酷だ。
最近はより一層、高齢の方をテレビで見ながら、いったいどうしたら今日まで生きてこれるのか、
どういう思いをしながら何を考えて食べて喋って働いて作って笑って歩いて、今日という日まで辿り着いたのか、疑問でならない。
わたしは、今よりもっともっと頭をおかしくしないとこれ以上生きていけません。
みなさんは、どうですか?
⛰
失ったものを取り戻すのは難しい。
断捨離という言葉や習慣が浸透したが、断捨離は貧乏人はしないほうがいいと思う。(貧乏人=自分、自分に言い聞かせているだけだ。)
ゴミ箱に入れたもの、可燃物、これらは焼却処分だ。
あの子からもらった誕生日のメッセージカードも、資格試験の案内書も、幼い頃親に褒めてもらえた絵も。
灰。
灰、灰。土に還る。
ばらばらになってしまった。
なんでこんな思いをして、日々を過ごさないといけないの。
病気になる前は、普通に一人で好きな時に出かけられるし、同仕様もない夜にコンビニにも行けるし、電車だってバスだってなんだって何処までも乗れた。どこまでだって歩けた、なんなら走れた。
昔はそうやって同仕様もなさを希釈していたから、特に楽しいことが無くても、楽しいと思えなくても、やっていけたんだと思う。
今はそれが出来ないから、希釈できないままウォッカの原液に胃を浸けているような気分だ。
こんな日々に希望を見出すことは残酷だ。
解いて絡まって 結んで千切って
障害を受容した上で、機能回復や快方に向かって前向きに治療に取り組むことを障害者に求められる訳だが、
これは矛盾していると思う。
誰に求められるって、医療職が求めてくる訳ですが。
私はこんな些細なことで一々文句を垂れるような人間なので、そろそろ頭の思考回路のプログラムを正してくれる技術者に、なんとかしてもらいに行きたいと思う。
私の頭の中は見ないほうがいい。私も見ないようにしている。
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新しいことを始めると脳が喜ぶと聞いたので、
金曜か土曜で映画を一本みることにした。続けるかも。
合わせて、日曜にプリキュアを見始めることにした。
丁度新章に明日から入るので、かなり良いタイミングである。
くそ元気になりたいくそ。
チョウ
月に一度はブログを書こうと思い、続けている。
ここ1ヶ月は友達と電話したりラインしたり、したいことができてよかった。
友達へったな。へった気がするだけで、そもそもこうだったのかも。
近くに居てくれて、気軽に会える人がほしい。
人間に飢えている人は恋人作ったり結婚して寂しさを埋めたりしてるんだろうけど、自分はそういう関係じゃなくてもいいからなんか人が欲しい。
逆に、そっちのほうが難しいんだろうね。ああ。
あああううおおおおねねねねねねね
はは
こんなことより、最近病気が回復に向かっていることを先に述べたかったのだが、
病気が回復し、人間の心を取り戻しつつある今、心のぽろぽろさが浮き彫りになってきた。
未就学児からメンヘラだから、もう色々しょうがない、
自分がない、
自己肯定感を得る手技の欠落。
この今の人生が自分本来のそれで、比較的幸せだった時期が自分らしくなくて狂っていたんだろうな。
病気になると尽く自分自身と向き合わないといけないのが辛い。