いつかは消える皺

この段階で、既に自分のブログがきもちわるく感じてしまう。自分自身の、 きもちわるさ と向き合う機会なのかもしれない。



きもちわるい、で思い出したが、今日は部屋や家の中って気味悪いほど布だらけで、少しきもちわるいと思った。

部屋のカーテンは遮光カーテンで、布独特の柔らかさや植物っぽさが感じられないから、カーテンはましだ。カーテンきもちわるくない。
ベッドの布団、枕は、ほぼ外出困難寝たきりの私がいつもお世話になっているという感謝の気持ちがあって、嫌いと言ってはいけない気がする。そもそも、寝具は質量が大きいため布というより「布の製品」という感覚で、きもちわるくはない。


床に敷いてある布、家族分のバスタオルやハンドタオル、体温調節のために脱いで無造作に置かれた布、きもちわるい。
目隠し、防塵のために家具や電子機器に被せられた布、洗濯場のカゴに入った服、押入れに丁寧に積み重ねてあるよそ行きの服、きもちわるい。よそ行きの服、着られる機会なんてもうないであろうに。こんなに丁寧に保管してしまっているのも、きもちわるい。
トイレに入っても、冷たい便器とタンクの水、みんな大好きトイレットペーパーと布と布と布だ。
布が多すぎることがきもちわるい。

自分の服。過去の体勢で刻まれた皺を未来まで引きずっている服の皺、きもちわるい。それが視界に入らずに済むよう、布団を首まで引き上げて天井を見る。