管が底に刺さった浴槽で

書きたいことがあっても、なんかわからんわ、となりがち。纏まらない浅い思考が高速で散り散り。
普段から文章読んでたら、ブログって得意になるのかな。あれ、いつも私は何してるんだっけ。
ねてる?ねてる。



いよいよ、自分が何して昨日生きてたのか、出来る事がかなり制限されている中で今日は何をして生きたらいいのか、分からなくなってきた。

いい歳して、こんな状況下でも画期的な生き方ができたらいいのに、と安直な願いを漠然と強く持っている。よく、働いてお金を稼いでニッコリしている将来の自分の姿を妄想する。そうなればいいな、って。
そうなるためには、この病気の有効な治療薬・治療法が見つからないと実現し難い訳で。この病気あるいは医学に関して、何か大きな転換が起こらないと、私は働くことも不可能なままだ。
それが起こりうる確率やその他諸々込みで、今後の人生のシュミレーションを計算してくれる機械があればいいのになぁ。第一に、母数が少なくデータがほぼない。

今日は一体何して生きたらいいんだろう。この生き方で合ってるのかな。
(リハビリしてるし、それ以外も色々工夫したり我慢したりで、雛鳥のように口を上に開けているだけじゃないよ……それでも超えられない治療の限界があるから、どうしたらいいんだろう。毎日不安トンネルの中だよ、って話しです。)



自分が精神的に成長したことは、時間が経てば病気は必ず完治する、なんて甘い目測を立て、人生の時間経過に依存しなくなったこと、である。
何もしなくても、時間が私の病気やそれ以外の問題点を解決してくれる、って最近まで心の底の瓶の中で思ってた。
例えば、これは幼い頃から思っていたことだが、30歳までには努力しなくても、歳を取ることで自然と字が綺麗に書けるようになる、とか。そういう類の思考。
これを含め、私は目測を見誤りがちなのである。



1日3回ごはんを食べても、栄養素が消化管を素通りしていくのを感じる。経験を身につけられないのなら、せめて栄養素は身についてほしい。決して痩せ型ではいないのだが、エネルギー摂取量と体重増加量の関係性が私は中々狂っていると思う。
細胞も生きようとして欲しい、私は生きるから