厭世的遠征

タイトルは言葉遊びです。

先日、久々の通院でした。私の中で通院は、食料やブランケットを持っていく「遠征」です。
道中、車移動の際の振動で吐きそうになるので、嫌いじゃない通院がこのせいで嫌いになりそうです。

この気持ち悪さを思い出すと、今も吐き気が湧き上がってきました。おろろ。脳さん、今はベッドで寝ているから安心していいのよ。そうよ、そうよ。



受診自体も久々だったのですが、外出自体が久々でした。
横断歩道で信号待ちしている集団の高校生をみて、家族以外の人間が生きていることを目視で確認しました。どこの高校の制服かもわからないけど、彼らの健康をひっそり祈りました。

病院に行く前に二級河川一級河川を横断します。堤防は思ったより小さくて頼りなく、川は前より横幅が小さくなったように感じました。
私が大きくなったから川が相対的に小さくなったのか、川がたいへん広いと誤認していたのか、何故なのでしょうか。


ここ一年程、ISSのライブ映像をアプリからよく見るのですが、慣れてくると地球も小さく感じてしまいます。
子供の頃は、金平糖も、ブランコも、小6のお兄さんも馬鹿のように大きかったです。